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東愛知新聞にて新連載が始まりました
東愛知新聞におきまして三河市民オペラの冒険と題しましての連載④

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【連載】三河市民オペラの冒険〈4〉
唯一無二の魅力を確信した瞬間
(バリトン・上江隼人)
私が三河市民オペラに関わるようになったのは、2017年の「トロヴァトーレ」公演からです。市民団体がヴェルディの名作に挑戦すると聞き、「どこまでできるのか」と不安と期待が入り混じりました。しかし、その公演は大成功を収め、チケットは完売。さらに、三菱UFJ信託音楽賞を受賞するという快挙を成し遂げました。
以来、私は歌い手として関わり続けていますが、三河市民オペラの「本物の音楽は必ず伝わる」という信念に深く共感しています。通常、市民オペラは地元の音楽家を中心にキャスティングしますが、三河市民オペラは公開オーディションを実施し、純粋に音楽の力でアーティストを選ぶ。これは、目に見えない「音楽」という芸術を扱う上で、非常に勇気のいる決断です。
しかし、この姿勢があるからこそ、歌い手も期待に応えようとし、普段以上の力を発揮できます。それを実感したのが、この団体の舞台でした。オペラは、人と人が支え合いながら創り上げるもの。決して順風満帆にはいかず、さまざまな苦労もありますが、その先に生まれる舞台には、特別な力が宿ります。三河市民オペラの公演には、まさにそのエネルギーが満ちている。そう気づいたとき、この団体の唯一無二の魅力を確信しました。
オペラは生の芸術です。何が起こるかわからないし、すべてが完璧にいくとは限らない。それでも、お互いを信じ、本番に臨む。その瞬間を共有できる環境があることは、決して当たり前のことではありません。そして、時が経ち、新たに「アンドレア・シェニエ」の上演が決定。「非常に難易度の高い作品だけれど、三河市民オペラならきっと実現できる!」そうワクワクしたのを覚えています。この公演も完売し、第10回JASRAC音楽文化賞と令和5年度愛知県芸術文化選奨文化賞を受賞。オペラ界に新たな希望をもたらしました。
これから三河市民オペラがどのように進化していくのか、とても楽しみです。オペラは伝統と最新技術が融合しながら発展してきた総合芸術。過去の黄金時代をなぞるのではなく、現代の最先端を切り拓く。そんな挑戦を、三河市民オペラが率先して行ってくれることを期待しています。
例えば、有名メーカーやアーティストとのコラボ(衣装・舞台デザイン)▽海外の芸術家や音楽家との共演▽新たな演出(プロジェクションマッピング、海外配信)▽他の伝統芸能(歌舞伎や能)との融合―など、
こうした試みが、三河市民オペラならではの魅力になっていくのではないでしょうか。この素晴らしい団体が、これからどんな舞台を創り上げていくのか、心から楽しみにしています。そして、これからもその舞台に立ち続けられることを願っています。
◇
東京芸術大学大学院を首席で修了。2006年、ディマーロ国際声楽コンクール優勝。同年、ヴェルディ・フェスティバルで「トロヴァトーレ」に出演し、イタリアデビュー。その後、パルマ王立歌劇場やシチリア・ベッリーニ劇場など国内外の主要劇場で活躍。「リゴレット」「カヴァレリア・ルスティカーナ」などで主演し、高い評価を得る。近年では、藤原歌劇団「二人のフォスカリ」(2023年)、新国立劇場「ドン・パスクワーレ」(2024年)、藤原歌劇団「ファルスタッフ」(2025年)などに出演。受賞歴も豊富で、平成24年度五島記念文化賞オペラ新人賞、令和2年文化庁芸術祭新人賞を受賞。2021年にはデビューアルバム「ヴェルディアーノ」をリリース。NHKニューイヤーオペラコンサートにも連続出演。現在も藤原歌劇団正団員、日声協オペラアカデミー会員として活動を続けている。
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東愛知新聞におきまして三河市民オペラの冒険と題しましての連載③

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【連載】三河市民オペラの冒険<3>
「また観たい」伝わった熱量
(オペラ評論家・香原斗志)
(写真・右から)聴くたびに進化するメッゾソプラノの脇園彩さん、筆者、大輪の花を咲かせると期待されるテノールのステファン・ポップさん=イタリア・ボローニャ歌劇場の楽屋で
制作サイドの熱量が高いオペラは客席も沸く。最たるものが、2023年5月に上演された三河市民オペラのジョルダーノ作曲「アンドレア・シェニエ」だった。私は打上げであいさつした際、「ミラノ・スカラ座の公演よりも盛り上がった」と話したが誇張ではない。オペラの殿堂と芸術的な水準を比較しているのではない。客席の熱気は、たしかに豊橋が上回っていた。
もちろん、指揮者、演出家、歌手、合唱、オーケストラという「素材」は重要だが、それらが一定の水準でそろったあとは、客席の反応、すなわち観客の心の動かされ方が、舞台から伝わる熱量に左右されるのは間違いない。
私はオペラ鑑賞が生活の一部である。昨年は欧州だけでも30公演程度は鑑賞したが、本場のすぐれた公演でさえ心を打たれるとは限らない。ましてや国内の公演は、客席にいることを後悔することも珍しくはない。しかし、そんな中で心が躍った公演には共通して熱量があった。
昨年12月、藤沢市民オペラのモーツァルト「魔笛」は、温かくまとまった質の高い公演だった。同じ月には、神戸文化文化ホールがオペラの制作にはじめて挑んだヴェルディ「ファルスタッフ」を鑑賞したが、総力を挙げた熱気が客席を包み込んだ。ちなみに両公演とも満席だったが、それは上演前から熱気が伝わったからだと思う。
したがって三河市民オペラも、周囲を引っ張る制作委員長の高い熱量が失われないかぎり、ふたたび成功することを少しも疑わない。
■みな正のエネルギーを欲している
「人はパンのみにて生くるものにあらず」。だが、この失われた30年においては、パン以外のものに触れて人生の養分を吸収する余裕を、私たちの多くが失っているように見える。だから、SNS上での憂さ晴らしが後を絶たず、人々の心から潤いがさらに失われていく。
そんな状況だからこそいっそう、私たちは熱いものに敏感になっているように思う。
残念ながら熱量が低い公演は、オペラの裾野の拡大につながらない。一方、三河市民オペラの「アンドレア・シェニエ」のほか、前述の「魔笛」や「ファルスタッフ」は、初めてオペラに足を運んだという人の多くが「また観たい」という感想を残している。それは芸術としての質もさることながら、私たちが早く脱したいと願ってやまない失われた30年とは別の方向を向いた、正のエネルギーが漲っているのを感じるからではないだろうか。
とりわけ三河市民オペラは、資金集めから制作業務まで地域経済を担うビジネスマンたちが携わって、その行動力や人脈を生かしている。多額の協賛金を集め、チケットはすべて売り切る。そうした力はおそらく出演者のほかあらゆるスタッフに伝わり、観客に向けた熱として発散されるのだろう。
■熱量さえ失わなければ
たしかに「アンドレア・シェニエ」は出演者が多く大がかりで、上演が困難なオペラの一つである。知名度も高いとはいえない。それを圧倒的な成功に導いたあとで再度、観る人の胸の内を熱くすることができるかどうか、不安になるのはわかる。諸物価が高騰し、以前の制作費では賄えないのも事実である。
だが、もっとコンパクトに上演できて、日本に適任の歌手がいて、これまで以上の感動を呼び起こすポテンシャルがあるオペラはたくさんある。そこにこれまでと同じ熱量を注ぎ込んでいただけるなら、私たちはパン以外の大事なものを吸収し、それを未来への希望につなげることができる。失ってはいけないのはただ一つ、熱量である。
※神奈川県生まれ。早稲田大学卒業、声楽作品を中心にクラシック音楽全般について執筆。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「歌声のカタログ 魅惑のオペラ歌手50」(共にアルテスパブリッシング)など。毎日クラシックナビ「イタリア・オペラ名歌手カタログ」などの連載をもつ。歴史評論家の顔もあり、近著に「教養としての日本の城」(平凡社新書)「お城の値打ち」(新潮新書)。